僕がコンサルタントになったワケ

「絶対にやめろ、そんなんしたら俺死ぬで」
昔、僕が父親に言った言葉です。まだ小学3年生。なので簡単に死ぬとか言えるお年頃(今は流石に絶対に口にしないですが苦笑)
なぜ僕がこんなことを言ったのか?そこには、僕がダイレクト・レスポンスマーケティングを使ったセールスコンサルタントをする理由があります。
当時僕の父親は、東大阪の町工場で働いていた普通の社員でした。時々社長と喧嘩してクビになったりしますが、昔ながらの職人って感じです。やってる仕事は溶接で、溶接に関してはかなりの腕前があるみたいでした。
太陽の塔の顔部分を溶接した会社で働いていたいたり、ルイヴィトンとかシャネルの什器の溶接、電車の連結部分の溶接から、街中にあるお店の溶接、会社はとても小さかったはずですが、まあまあ良い仕事をする会社。
僕の父も何度も会社をクビになってもすぐに再就職する。それも60歳になっても未だに就職先がすぐに見つかるので、かなり腕の立つ職人なんだろうなと子供ながらに思っていました。
そんな父親に言った「絶対にやめろ、そんなんしたら俺死ぬで」という言葉。もちろんちゃんと理由があります。その理由は、僕の父親が「チチ、会社やろうかな」って言ったから。(僕の父親は、自分のことをチチと呼びます笑)
えっ、そんなこと?って思われるかもしれません。でも当時の東大阪は会社の倒産が相次いで起こるような状態でした。会社が倒産したらどうなるのか?
社長は書き置きをして自殺。
そんな現実が時々ですが起こるような場所です。なので当時の僕からすると、会社をやるというのは、僕の父親が自殺するというイメージが真っ先に湧いたわけです。今でもそうなのですが、僕は父親のことを尊敬しています。どれだけ会社をクビになってもちゃんと再就職してくれる。僕を私立の大学まで通わせてくれたり、常に陰ながら応援してくれる。そんな存在です。なのでどうしても死んで欲しくなかった。
だから絶対に会社をやって欲しくなかった。結果出たのが、「絶対にやめろ、そんなんしたら俺死ぬで」という言葉でした。当時の父親は、ずっと職人でした。なので、社長になりたいという思いもあったような気がします。「チチ、会社やろうかな」、そう言った父親の顔。そして、「絶対にやめろ、そんなんしたら俺死ぬで」と言った瞬間の父親の顔は未だに忘れられません。
でも今になって思うのは、”正しい戦略と、正しい知識”があれば、会社を作り、ある程度までの売り上げをあげ、ある程度までの規模に持っていくことは、とてもシンプルだということです。何でそんなことを言えるのか?というと、僕がダイレクトレスポンスマーケティングの知識を身につけたから。
だからこそ今となっては、”正しい戦略と、正しい知識”。そして、行動をすれば、会社を軌道に載せる方法はとてもシンプルだということです。簡単とは言いません。地道に努力をする必要がありますし、それに伴う行動が必ず(120%以上)必要です。ですが、それさえ身につければ、シンプルだということです。
でも、社長は孤独です。一人でやってるとなおさら。社員がマーケティングを身につけてくれないことよりも、自分も勉強しないといけない。会社の売り上げを自分があげないといけない。常に「これで良いんだろうか…」と悩みながら、先が見えない状態でビジネスをしている。
もしそんな時に、マーケティングやセールスについて知識を持っている人が手伝うことができるのならば。もし参謀のような存在の人がいれば、きっと社長は正しい戦略のもと、確信を持ってビジネスを進めることができる。そう思ったから、僕は今の仕事をしています。
そして今となっては当時の僕にこう言ってあげたい。
「俺がマーケティング関連は全てやる。だから安心して、社長になってくれ」
もしあなたが、”正しい戦略と、正しい知識”をもとに、ビジネスをしたいなら、一度会って話しませんか?
会って話をする。それだけでも、きっとあなたの悩みの10分の1は解決してあげられるかもしれません。多少ならわかってあげられるかもしれません。あなたの役に立ちたい。そしてあなたにも、「俺がマーケティング関連は全てやる。だから安心して、社長になってくれ」と言ったあげたい。
ー中村一樹